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中山道の宿場町 本庄城(本庄市) [歴史]

埼玉県本庄市の本庄城を見て来ました。
本庄に城があった事を知ったのはつい最近の事で、本当は同じ本庄にある五十子陣の事を調べていたんですが、歩いていくには駅から遠くて不便そうだったので、近場の本庄城に行ってみました。

本庄城の築城は1556年(戦国時代)。
当時本庄の地を収めていた本庄実忠(ほんじょうたねさだ)は古河公方家を迎え撃つためにこの城を作りました。
本庄氏は関東七党の一つ、児玉党の有力な豪族でした。
当時、利根川を挟んで古河公方と対立しており、この周辺は度々戦場になっています。
実忠の死後、本庄 近朝(ほんじょう ちかとも)が家督を継ぎましたが、豊臣秀吉の小田原攻めの際、近朝は自害し、城も落城。これにより本庄氏は滅亡しました。






徳川家康の江戸へ入城(1590年)に伴い、本庄へ赴任してきたのが小笠原 信嶺(おがさわら のぶみね)。
本庄領一万石の領主として、第二次本庄城の城主となります。
信嶺のあとを継いだ養嗣子(ようしし)の信之(のぶゆき)が本庄藩の初代藩主となるも、十数年後には加増移封(かぞういほう)により下総古河藩の初代藩主となります。本庄藩の廃藩により本庄城も廃城となります。(1612年)

その後、城下町は中仙道の宿場町として整備され発展しました。
街中を歩くと、蔵が沢山あるのに気づきます。
江戸時代の本庄周辺では養蚕が盛んで、最盛期には「本庄の繭相場が全国の中心」と言われるまでとなります。
群馬の富岡市には世界遺産に認定された富岡製糸場があるという事を考えても、この一帯では江戸以降に養蚕が非常に盛んに行われてきたのがわかります。
過去記事参照
蔵のある街~本庄~






城として使われたのも短い期間でしたし、古い時代の城なので大阪城や江戸城のような立派なものではなく、自然の川や崖を利用した戦国時代の典型的な城だったようです。
現在、城の跡地にはこれといって当時の様子を窺い知るものは残されていません。
跡地と思われる場所には、市役所と神社、民家、公園があるだけです。
公園は崖の下にあり、崖の上には神社と民家、区役所があります。

IMG_6544s.jpg
城下公園
ただのノンビリとした公園です。

IMG_6569s.jpg
当時の地形が残っています。
崖の上には城があったのでしょうか。
左手には公園があります。

IMG_6577s.jpg
城山稲荷神社の境内に碑があります。

IMG_6580s.jpg
本庄市役所
この辺りも城の敷地だったそうです。


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コメント 4

ねじまき鳥

石碑だけなのですね。

by ねじまき鳥 (2016-02-14 22:20) 

sasanono

関東にあった城は、殆ど残っておらず、残念ですよね。
江戸城は、戦闘を避けて開場したので、かろうじて残っていますが...
by sasanono (2016-02-15 12:57) 

大和

ねじまき鳥さん
その通り^^;

by 大和 (2016-03-02 19:23) 

大和

sasanonoさん
江戸城も最初からあんなに立派ではなかったようです。後世に増築改築されて立派になったそうです
by 大和 (2016-03-02 19:24) 

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